「卒業」

今月は卒業マンス、各学校の卒業式模様がテレビやSNSで取り上げられていました。それぞれの学業を終えて次の業に皆が向かいます。ところで卒業の「業」とは何でしょうか。簡単な意味は「行為」ですが、仏教界では「ゴウ」或いは「カルマ」と言います。これには三つのカルマがあります。「身口意三業」と言い、肉体の行為、口の行為、心の行為の事です。業には良いものと悪いものがあります。多くの場合「業が深い」とは悪い方のことを言います。仏教ではこの業次第で不幸にもなるし、幸福にもなると教えられています。聖書にも「蒔いた種は刈り取る」と記されています。しかし、人は残念ながら良い業よりも悪い業を行ってしまいます。何年経っても「卒業」出来ないのが現実です。仏教ではこの業は大象100頭よりも強く、消せないと言っています、或いは人のため世の中の為に尽くせば消えると言いますがそれが出来ないから悩むのです。聖書では悪い業の事を「罪」と言います。しかし、幸いなことに聖書には「卒業」が出来ると教えられています。それは良い業を積む事でも諦めることでありません。私たちの「悪業」(罪)を全て自ら負って下さったJESUSを信じ受け入れるならば「卒業証書」が頂けると約束しています。更には、良い業が出来る力さえも付与されるのです。その力は聖なる霊であります。この霊を受けた者は良い実を結ぶ人生を歩けるようになるのです。本当の「卒業」を皆がして欲しいものです
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06 : 57 : 12 | ジョイ日記 | page top↑

早春賦

『早春賦を過ぎて』
 「春は名のみ 風の寒さや 谷のうぐいす 歌思えど 時にあらずと
 声も立てず 時にあらずと声もたてず」早春賦の歌詞です。つい先日まではこの歌がピッタリの時期でしたがここ数日は「名のみの春」でなく、ようやく春到来です。今年は春を一番に感じさせる花粉症状に悩まされず嬉しい春を迎えられました。一昨日宮崎では桜の開花宣言が出されましたが、これから各地で桜前線活発になり開花宣言が次々に出されそうです。この時季は各学校で卒業式が行なわれ、知人の子弟たちがそれぞれの学び舎から旅立ちます。あんなに小さかった子が大きく成長して小中高を卒業する姿を見ると歳月が過ぎる速さを実感しますし、彼らを見ると自分もそれだけ歳を重ねており、青年でなく老年なんだと自分の現実を見せつけられます。人生を季節にたとえるなら「春は名のみ」どころか「小さい秋見つけた」の歳なのです。しかし、現実年齢は「秋」や「立冬」であっても内側は春や夏の心を失わず日々を歩みたいものです。平昌冬季パラリンピックも終盤です。これからは夏のスポーツ界がシーズンに入ります。相撲はすでに「春場所」高校では「春の選抜・・」という大会が各競技が行われます。今年は嬉しい事に春の選抜高校野球には県北勢が二校出場です。『ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。山鳩の声が、私たちの国に聞こえる・・・さあ、立って出ておいで』(雅歌2:11~13)
08 : 10 : 58 | ジョイ日記 | page top↑

八朔・ハッサク

『はっさく・八朔』
今冬は特に寒さがきつく続きましたが、ようやくその峠も越えたようです。冬の風物詩の中に暖かいコタツに入り美味しいミカンを食べている景色があります。冬にはミカンとコタツはお似合いです。私たちの郷土は柑橘王国と言っても良いほど柑橘類が豊富です。有名な所では「たまたま」の金柑。リンゴのように皮をむいて食べる日向夏。酢の物に使用する「兵衛酢」等があります。我が家にもスイートスプリング、小ミカン似のキンカン。昨年植えたばかりの八朔もあります。さて、この「八朔」は実は旧暦の呼び名で8月1日のことです。尾道の因島が原産と言われており、そこのお寺の境内にたくさん植わっているのを見た住職が「八朔には食べられるだろう」と言ったことからこの名が付いたとも言われています。もちろん、8月では食べるには遅すぎます。八朔の収穫時期はちょうど今頃から3月にかけてであります。八朔と言えば酸っぱさがあるイメージですが糖度も高く程よい甘さがあります。栄養素もバランスよく含まれています。八朔と言われるぐらいだから、八つ以上の良い効能があります。免疫UP,疲労回復、風邪予防、血液清浄、美肌等々です。参考に夏ミカンは酸味が強く夏まで木に付けておくと酸味が抜けて食べられるので夏ミカンと言われます。そのまま付けておくと来年も同じところに別の実が付くそうです、だから代々繋がるので夏橙とも言われます。姿は似ていても中身は色々です。八朔人間なりたいものです
07 : 53 : 14 | ジョイ日記 | page top↑

比べて見れば

『比べて見れば』
 他者と比べて自己嫌悪になったり、逆に優越感に浸ったりすることは益になるものではありません。比較しながら生きるといつの間にか自分を見失ってしまうこともあります。自然界は比較しながら生きていません。雀は鷲と比較して生きていません。スミレは向日葵と比較しながら咲いていません。しかし、人間界は時々比較する弱さを持っています。自分に確信や自信がないと比較して周りと同じだと安心し、劣っていると、妬み、ひがみ、羨望感に陥り、勝っていると優越感、高慢、自慢になるというややこしい心理に振り回されてしまいます。自信や確信を持って生きるなら比較などしなくても良い生き方になります。そのためには絶対的なものにOKを戴く事です。唯一絶対的なものとは万物のクリエーターなる方です。この方からOKの太鼓判を押してもらえたらもう大丈夫です。あなたはこの太鼓判を押されていますか。さて、比較することは良くないかのように記してきましたが時には比較してみることも必要です。今冬は寒さが厳しく長期化しています。早朝の祈りに出かけるには闘いがありますが、何とかこの冬も頑張れそうです。しかし、これが北国の地方だったら敗北していたかもしれません。南国宮崎と比較したら北国の気温も雪の量(こちらではほとんど降りません)も遥かに超えています。向こうの最高気温がこちらの最低気温よりもずっと低いのです。北国の生活に比べると私たちはどんなに恵まれているでしょう。
20 : 02 : 29 | ジョイ日記 | page top↑

人生の棚卸し

『棚卸し』
 年度末が近づくと決算の為に「棚卸し」作業が始まる会社があります。多くの商品を抱えている企業やスーパーなどは大変です。会社によっては徹夜作業になる時もあります。棚卸しがキチンとされている会社は管理を良くされているので健全な経営が行われている評価に繋がり、信頼を受けることになります。私たちも定期的に人生の棚卸しをする習慣を身に付けるように心掛けたいものです。それによって健全な生活を送れるようになり、信頼も得るようになると思います。棚卸しをしない人生は人に対する批判、不平、不満、愚痴が多くなります。これらが多くなると周りの人との関係が悪化したり、孤独になったりする可能性も生まれてきます。私たちは自分の事を「棚に上げ」他者のことをアレやコレやと遂々口に出してしまう事がありますがその前に棚に上げている自分の事を思い出して棚から降ろして見るのも良いでしょう。降ろして見て、こんなに傷み、汚れていたんだと、ビックリ!何てこともあるかも知れません。昔からの諺に「人のふり見てわがふり直せ」などと言う言葉があります。または、「同じ穴のムジナ」もあります。聖書には「まず、自分の目の中の梁を取り除けなさい」と記されています。もうすぐ新年度が始まりますが棚の上に積んだままになっている埃まみれになっている自分を降ろしてキチンと管理しましょう。「私たちが自分の罪を言い表すなら、・・神はその罪を赦し、すべての悪からきよめて下さいます」
20 : 10 : 51 | ジョイ日記 | page top↑
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